2013年4月21日日曜日

道具

フルマラソンで世界一速く走る選手とオートバイでフルマラソンの勝負をしたらほぼ間違いなくオートバイが勝つ。こんなこと当然だ。

道具は素の人間の能力を補完するために存在する。どんな道具だって人間の能力を超えた特徴を持つからこそ道具として存在し続ける。ハサミ、ドライバー、草刈機、乗り物、そしてコンピューター。どんな道具も使うことで素の人間の能力を超えることに意味があり、道具を作る人はそうなるように道具を作る。だから人間とオートバイでフルマラソンを競争したら当然オートバイが勝つわけだ。こんなことは言うまでもないことだ。

第二回将棋電王戦はA級棋士の敗北含め、プロ棋士の1勝3負1引き分けで終わった。ニコ生で5局とも(全てではないが)観戦した私にとっては非常に興味深く、そして感動した。マスメディアでは早速イメージダウンだのプロを脅かすだなどと書きたてているようだが、実際に見ていた人の大半はプロ棋士のスゴさに酔いしれ、勝敗に関わらずむしろ将棋のイメージを大きくアップしていたのではないか。

コンピュータは道具。テクノロジーが進歩する限り、人間の能力を超えて当然のものであり、そうでなくては意味がない。今回の結果はコンピュータ将棋がプロ棋士にとって有用な道具となりうることを世に知らしめたのであって、プロ棋士がコンピュータに負けたなんてことは歴史的瞬間を刻んだという程度のことでしかない。コンピュータ将棋はむしろ人間に完膚なきまでに叩きのめすことができない不完全な「道具」なわけだ。

42.195kmを人間と競争して普通に負けることもあるオートバイ、これがコンピュータ将棋の現状だよな。

2013年4月2日火曜日

児童が売春宿で半強制的に働かされるアニメを見た

 興行収入、観客動員数とも日本の映画史上最高を誇る某アニメ映画を今さら見た。以前テレビで放送したときに後半20分ほどを見たことがあるが通しは初めて。そもそも宮崎センセイ(以下センセ)のアニメ映画を見ること自体もう20年ぶりくらいで、最後に見たのはとなりのトトロか魔女の宅急便のテレビ放送だと思う。なんで今になって見たのかと言えば表題の部分に興味を持ったから。まさか子供向けアニメで日本映画史上最高収入の作品が売春宿を舞台にしているなんて思いもしなかったので、どんなもんか見てみようと思った次第である。

 さて、総評というか最後まで見て疑問に思ったのは「どこで感動するのか」ということ。ネット上の感想を見て「感動した」という人は多いのだけど、いったいどこを見て感動したのかがよくわからない。唯一見つけたのは最後に千尋とハクが手を離すシーン。でも、それ以前の展開で気分的に盛り上がるところがないから感情移入できないんじゃないかと思うけど。あのシーンは「センセのアニメ=感動」という人のために、もうここで感動しないと終わっちゃいますよ!と伝えて感動を促しているのじゃなかろうか。
 他に見るべきところと言えば登場するキャラクターの面白さなのかなぁ。私はそういうところにものすごく鈍感なのでよくわからない。もしかしたらキャラはじめ、クリエイターの人たちにはいろいろと思うところがあるようなものかもしれない。あと、勧善懲悪みたいなものとは全く違う世界観で大人を引き込んだ、ということもあるのかもしれない。いずれにしてもなんでこれが興行収入ナンバーワンなのかはやっぱりよくわからない。作品以外の要素が大きいということなのか。

以下、印象に残ったことをいくつか。

・最初にトンネルに入ったところで「あぁ、最後はここから出てくるんだなぁ」とわかるいつもの展開。センセったら、だから大塚英志に「構造しかない」とか言われちゃんですよ。

・千尋はこれまでのセンセが世に送り出してきた主役級の女の子としては見た目を変えてきたようだけど、相変わらず筋が通り過ぎた純真さで全く子供っぽくないところは相変わらず。どんだけ小さな女の子に夢抱いてるんだよ、センセ。

・クサレ神様(じゃなかったらしい)が油屋の敷居をくぐるシーンで入り口の壁に「回春」と書いてあった。なんてストレートなんだよ。

・カオナシ(=センセ)は最初からロリコン丸出し。売春宿で児童をお金で買うなんてことを思い切りストレートに表現してしまって、よく倫理に反するという批判を受けないものだ。そういうところはスゴいよな。ちなみに、センセは「カオナシはみんなの中にいる」というようなことを雑誌のインタビューか何かで言っているけど、オイラにはセンセのようなロリコン趣味はありませんぜ!


うーん、キモチワルイ。。。