2013年3月22日金曜日

擦り込み

小学校の卒業式に参加してどうしても気になって仕方がないことがあった。

祝辞の言葉を述べる大人たちから出てくる「夢や目標を持って励みなさい」という言葉と、子供たちから出てくる「私も見習って頑張らなければいけないと思った」という言葉。覚えていないが他にもいくつかあったと思う。これらを聞いて私は「ああ、こうやって擦り込まれていくんだ」と思った。

北京オリンピック柔道の金メダリスト、石井 慧のメンタルコーチをしていた平本あきお氏の『成功するのに目標はいらない』によれば、人には目標に向かっていたい「ビジョン型」と価値観を充足していたい「価値観型」の2つがあり、「価値観型」の人のほうが多数派だと言う。私は間違いなく「価値観型」なのでとてもよくわかる。なのに「夢や目標」ってことを出てくる大人が次から次へと言っていく。これは何なんだ?


自分が子供の頃のことを何となく回想してみる。目標がなければいけないという擦り込みは実際に私にもあったように思う。そこそこ年を重ねるまでそう思っていたような気がするが、いつかそうではないと気づいていた。「頑張らなければ」というような言葉は「点数をとる」ために言っていたような気がする。子供の頃なんて学校では何か聞かれれば点数をとるように答えるのが当たり前だった。だから作文などでは自分がどう思うかということよりカッコイイことを書くようにしていた。だからといってウソをついてたわけではないだろうから、大して考えずに点数をとりにいってたのだろうと思う。

ここまで考えて思った。私はこのような擦り込みに対して気づけるような素質と環境があったのだろうが、そういった素質も環境もなく育っていったのなら、それらの擦り込みは全て彼らの真実になってしまう。そしてそうとしか思えないような人たちってたくさんいるじゃないか。

擦り込み自体はともかくとして、同じ妙な刷り込みが何十年も変わらず語られているって恐ろしいね。

2013年3月9日土曜日

旅行とか観光とか旅とか

旅行にはそれほど関心がない。でもそれなりに思うことはある。観光地を順繰りに巡るような旅行にわざわざ行こうとは思わないし、人と一緒に旅行するのもあまり好きじゃない。だからといって観光旅行じゃない「旅」と言われてもやはりピンとこない。「自分探しの旅」なんて単なる現実逃避でしかないし。だから旅好きな人が観光旅行をする人をこき下ろしたりしているのを見ると不思議に思うわけだ。別に人それぞれ好きにすればいいじゃないか、と。

で、印象に残った旅らしきものを振り返ってみる。移住する前は高知に2年ほどで10回くらい旅行に来たが、そのときはハーフマラソンなど目的があったこともあるが、基本的には高知の空気を感じに行っていたように思う。街の空気を味わっているだけでもそれなりに満足できるから、観光地もそれほど行っていない。あと、大連に行ったときは日本では見られないことを一緒にやりたくてしょうがなかった。だから4車線くらいあるバイパスを何度も横断した。ショッピングモールのスケールの大きさを味わうのも好きだった。モールの中にいるよりモールの外を歩いて巨大看板を眺めながら歩くのが楽しかった。どうやら私は旅行先で非日常的な体感を得られると印象に残るらしい。

ここまで考えて思った。私は旅行で何か特別なことがあったわけでもないし、今後も旅を特別なものとは思わないだろう。だからやっぱり旅行が旅であろうと観光であろうと好きにしたらいいと思う。けど、こう思うのはきっと私が旅について真剣に向きあったことがなく、経験も少ないからじゃないだろうか。旅が好きな人はきっと真剣に旅することと向き合いながら何度も旅をしているのだよね。だとしたら旅好きな人が観光旅行を批判するのは私がビジネスや事業を綺麗事だけ並べてやるようなナメきった連中を批判することと同じフレームにはまってるじゃないか。

冷静に考えれば、このフレームってどこにでもあるな。気付いて良かった。